江戸東京野菜

主に現在の東京23区を中心に、広く東京都内で伝統的に生産されてきた野菜
江戸東京野菜について

伝統大蔵ダイコン

江戸時代、豊多摩郡(現在の杉並区あたり)の「源内」という農民が作り出した「源内つまり大根」が原種。大蔵大根は、昭和40年代までは世田谷の至るところで栽培されていましたが、昭和49年に誕生した病気に強く栽培しやすい青首大根の普及に伴い、次第に姿を消していきました。「地元"大蔵原"ゆかりの野菜である大蔵大根を見直そう。」と、区内農家の方々が平成9年から再び栽培を始めました。今ある伝統大蔵ダイコンは平成4年に本格的に復活させたもので、以前からある大蔵ダイコンと区別するために「伝統大蔵ダイコン」として平成23年から販売を開始しています。

内藤トウガラシ

内藤家の菜園(今の新宿御苑)から広がった野菜の一つ。品種は八房(やつぶさ)トウガラシ。参勤交代のために江戸に屋敷を構えた各地の大名たちは、下屋敷で故郷の野菜を栽培するようになり、現在の新宿御苑とその周辺に約20万坪以上もの屋敷を構えていた内藤家では、内藤唐辛子をはじめとする野菜が作られました。唐辛子に関しては、文化7年(1810)から文政8年(1825)にかけて幕府が編纂した「新編武蔵風土記稿」において、「世に内藤蕃椒(とうがらし)と呼べり」と紹介され、近隣の畑一面を真っ赤に染める光景は壮観だったといわれています。

千住一本ネギ

千住ネギは、江戸時代、砂村から、千住に伝わってきた根深ネギ。千住は、ねぎ産地であったことから、集積地になり千住ネギの産地が他に移った後でも、千住に入荷したネギ(「千寿ネギ」は別品種)を千住ネギと呼ぶ傾向にありますが、いわゆる「千住ネギ」の品種が残っています。

伝統の土垂里芋

土垂(どだれ)は主に関東地方で多く栽培され、里芋=土垂(どだれ)というくらい定着しています。土垂(どだれ)は主に子いもを食用とする品種で、小ぶりの里芋です。とは言うものの、農産物直売所などでは親イモも販売され、地元消費されています。子芋は煮ころがしに使われるように、鍋の中でころころと転げるサイズです。また、親イモは大きく、皮を剥く手間が少なくてすみます。特有のぬめりがあり、肉質もねばりがあり煮くずれしにくいのが特徴です。晩生種で貯蔵性が高く、一年中出回っています。また収量性や栽培しやすいこともあり家庭菜園でも人気があります。